私たちはそれからたび/\三条萬屋の金子さんの所を訪ねた。
(私は、三条小橋の下を高瀬舟が通つてゐた光景をはつきり想ひ出す)金子さんの兄さんは有名な岡本橘仙さんであつて、この人も金子さんと一緒によく私たちを方々へ引き廻して下すつた。
島原の角屋で遊んだ時も岡本さん兄弟と幹彦君と私と四人連れで、七条から丹波口まで汽車で行つたのを覚えてゐるが、その頃の京都の西の郊外は東の方よりも一層人家が疎らであつて、千本通りも四条辺から南は全く片側町であり、西はげんげと菜の花の咲き乱れた野がずつと太秦から嵯峨の方までつゞいてゐた。