………縁側に雪駄を脱いで、堂内の床を歩むと、冷や/\とした敷き甃が、夏足袋の底を徹して足の裏に触れ、丁度山奥の滝壺のほとりへ近づいたやうな肌寒さが、襟元へぞく/\と沁み込んで来る」と、私は「日記」に書いてゐるが、平等院を見物したのは着いた日であつたか翌日であつたかも忘れてしまつたし、糠雨に降られたと云ふ記憶もない。
たゞ京都の初夏の頃にしば/\ある、陰気な雨雲が蔽ひかぶさつてゐる間から日が油照りに照りつけて、じつとしてゐても顔や体がぬら/\粘つて来るやうな、そよとの風もない、蒸し暑い、重苦しい日であつたに違ひない。
平等院を出た帰りに宇治川の土手の上に彳みながら水の流れを見渡した時、あの堤防の桜の若葉が鬱陶しいくらゐ生ひ茂つて、頭の上にこんもり深い蔭を作つて、ために堤の上が暗く、その垂れ下つた葉に遮られて川の景色が見えない程だつた。