場所は清水寺の近くの、二年坂の「自楽居」と云ふ家で、私の「刺青」を愛読する舞子や藝者を呼び集めると云ふことであつたが、その女たちの顔は忘れてしまつた。
客は幹彦君と私、主人側には岸本氏の外に加賀正太郎氏が加はつてゐた。
当時私は二十七歳、幹彦君は二十六歳、そして加賀氏は私たちより若く、岸本氏はまた一層若いのに、此の主人側の両君が席上で巴里の街筋の話をしてゐたのをみると、その頃既に両君とも欧羅巴を知つてをられたのであらう。
場所は清水寺の近くの、二年坂の「自楽居」と云ふ家で、私の「刺青」を愛読する舞子や藝者を呼び集めると云ふことであつたが、その女たちの顔は忘れてしまつた。
客は幹彦君と私、主人側には岸本氏の外に加賀正太郎氏が加はつてゐた。
当時私は二十七歳、幹彦君は二十六歳、そして加賀氏は私たちより若く、岸本氏はまた一層若いのに、此の主人側の両君が席上で巴里の街筋の話をしてゐたのをみると、その頃既に両君とも欧羅巴を知つてをられたのであらう。