当時私は二十七歳、幹彦君は二十六歳、そして加賀氏は私たちより若く、岸本氏はまた一層若いのに、此の主人側の両君が席上で巴里の街筋の話をしてゐたのをみると、その頃既に両君とも欧羅巴を知つてをられたのであらう。
その日岸本さんは、私がまだ大阪を見たことがないと云ふと、ではいゝ宿を見付けて置くから是非やつて来給へと云ふやうな話があつて、それから数日の後、私は始めて大阪へ出かけた。
岸本さんの指定された宿と云ふのは、名前は忘れてしまつたが南区笠屋町の路次の奥にあつて、今から考へてみるのに、どうも松竹の白井さんの住宅のあるあたり、あの辺に違ひないのだが、太左衛門橋や戎橋に近い島の内の最も粋な所にあつて、旅館で待合を兼ねたやうな木屋町式の家であつた。