なんでも幹彦君は都合があつて一日後から来ることになり、私ひとり梅田からその教へられた宿へ行つてみると、すぐ文楽座の方へ来てくれと云ふので、其処から又あの御霊さんの中にあつた元の文楽座へ俥を飛ばした。
桟敷には、一と足先に来てゐたお多佳さん、それから初対面の大阪の紳士が二三人ゐて、人形芝居の説明をしてくれた。
云ふ迄もなく摂津や越路や團平などの生きてゐた時代であるから、私はさう云ふ名人の藝を聴いたに違ひないのだけれども、何を云ふにも此の上方の郷土藝術に反感を持つてゐた頃でもあり、浄瑠璃などには何の興味も同情も感じなかつた生意気盛りの時であるから、仕方がなしに退屈をこらへてゐたゞけで、出し物が何であつたかも覚えてゐないし、断片的な舞台の印象さへも残つてゐない。