況んや先生は荷風先生と前後して私の作物を真つ先に認めて下すつた大先輩の一人であつた。
私は先生と鴎外先生とが或る日観潮楼に於ける会合の席上、私の「麒麟」だか「少年」だかを褒めてをられたと云ふ話を聞いてゐた。
その後白秋君の「思ひ出」の会があつた時に先生が一場のテーブルスピーチをされ、私の「幇間」に言及してあれを激賞された記事を新聞で読んだことがあつた。
況んや先生は荷風先生と前後して私の作物を真つ先に認めて下すつた大先輩の一人であつた。
私は先生と鴎外先生とが或る日観潮楼に於ける会合の席上、私の「麒麟」だか「少年」だかを褒めてをられたと云ふ話を聞いてゐた。
その後白秋君の「思ひ出」の会があつた時に先生が一場のテーブルスピーチをされ、私の「幇間」に言及してあれを激賞された記事を新聞で読んだことがあつた。