そして恐らくその家は借家だつたのであらうが、書生の私にはまだ新らしい座敷の木口などが安普請の借家のやうには見えなかつたので、これは事に依ると京都を永住の地と定めて家を建てられたのかも知れないと、さう思つたくらゐであつた。
それにしても当時の先生は四十の坂を越してをられたに違ひないが、その、渋い柄の和服を着て部屋の真ん中に立つてをられた姿は、まだ三十代の人のやうに若々しかつた。
私は既に敏先生の声名を聞くこと久しく、学生時代に愛読した「詩聖ダンテ」などに依つてその博学を想望してゐたので、もつとハイカラな、同時にもつと年を取つた、写真に見る西洋のプロフエツサーのやうな風采を描いてゐたのであつたが、その濃い口辺の髯を除けば、先生の様子にはあまり学者臭いところや文人臭いところはなかつた。