当日の先生の話の中で今覚えてゐるのは、関西に於ける新聞記者と僧侶の勢力の侮り難いこと、都踊りの人気の素晴らしいこと、京都の人は都踊りを見ないのを耻のやうに心得て、十度も二十度も見物に行く熱心家があること、而もさう云ふ熱心家に限つて、日頃花柳界に近寄らない堅気な武骨者が多いと云ふこと、幸田露伴先生が京大を止された時のこと、是非思ひ止まるやうにと敏先生が引き留めに行かれたけれども、どうしても承知されなかつたこと、関東と関西との人情の比較等である。
此の最後の話のとき、「先生の御家庭ではお子さん達が京都弁を使ふやうにおなりになりはしませんか」と、私は始めて当り障りのない質問の機会を掴んだ。
すると先生は、「いや、それだけは厳重に警戒してゐます」と、潔癖らしくキツパリと云はれた。