それともう一つ、都会と田舎の風俗の比較が出たときに、「田舎の方が純樸だと云ひますけれども、若い男女の堕落するのは田舎者に多いやうに思ひますが」と云ふと、先生は私を顧みて、「それを私も云ひたかつたんだ」とさも我が意を得たやうに頷かれ、「都会の教養を受けた者の方が社会の裏面を知つてゐるだけに却つて誘惑にかゝらないと云ふのが私の持論なんだ」と云はれた。
そんなことでどうやら私もお茶を濁して一二時間お邪魔をして引き退つたが、その後幹彦君と私とは日を改めて先生の招待を受け、南禅寺の瓢亭で夕飯を戴くことになつた。
これは最初の訪問の日にさう云ふお話があつたのか、あとから御通知を受け取つたのか覚えてゐないが、幹彦君も私もまだやう/\売り出したばかりの、云はゞ文壇のルンペンにも等しい若輩に過ぎなかつたのに、大学教授たる先生がそのわれ/\を一流の旗亭に招き、特に一夕の時間を割いて下すつたと云ふことは、余程破格の御好意であつたと思はれる。