当時氏は阪急の池田に住んでをられたので、或る日私は、滞阪中の山本鼎、正宗得三郎、森田恆友の諸画伯連、それに幹彦君を加へた同勢で氏の寓居を訪ね、そこから氏の案内で宝塚に遊んだことがあつた。
それが、その時分の宝塚であるから、新温泉も少女歌劇もなく、今の旧温泉へ行く橋を渡つた両側に宿屋が五六軒並んでゐる、至つて淋しい町であつたが、泡鳴君は一行を往来に待たせて置いて、それ等の宿屋へ一軒々々這入つて行つて、客が何人で藝者を何人揚げて一と晩幾らで泊めるかと交渉して歩いてから、さて一番安い宿屋へわれ/\を引つ張つて行つたものである。
外のことは大概忘れてしまつたが、此の泡鳴君の奇抜で野暮な掛け合ひ振りには一驚を喫したことであつた。