私の神経衰弱は、“The Affair of Two Watches”にも書いてあるやうに、一高から大学へ移つた時代が最も激しく、一時は発狂しやしないかと自分でも危ぶんだくらゐであつたが、その後文壇へ出るやうになつてから、次第に前途に光明を見出し、生活も楽になつたので、何となく心身にゆとりが出来たせゐであらう、第一回のパンの会の頃まではまだコチコチに痩せてゐたのが、紅葉館の新年会の前後あたりからだん/\太り出して来て、尖つた顔が円顔になり、ニキビの痕がキレイに消えて血色が桜色を帯び、同時に神経衰弱の方も大変軽くなつてゐたのに、それが再び京阪時代に勃発したのである。
余談ながら、当時の文学青年の間では一時神経衰弱症が大流行であつたことを、此処で一言しておきたい。
尤も、若い者が不眠症に罹つたり煩悶病に憑かれたりするのは有りがちのことで、われ/\の一と時代前にも、藤村操流の厭世観が一世を風靡して自殺や心中が讃美されたことがある。