かのマツクス・ノルドオがその著「デゼネレエシヨン」の中で論じてゐるやうな病的な近代思潮が、われ/\の頭を支配してゐたので、われ/\の煩悶や懊悩の中には、センチメンタリズムの分子は微塵もなかつた。
われ/\はそんなものを自然主義前期の遺物として軽蔑した。
今にして思ふに、小説では紅葉の「金色夜叉」、蘆花の「不如帰」、草村北星の「浜子」などゝ云ふものが流行つた時代、評論感想では高山樗牛の「わが袖の記」、「平家雑感」、「美的生活論」などゝ云ふ中学生の美文のやうなものが大きな顔をしてノサバツてゐた時代、(ついでながら云ふ、正宗白鳥君などは樗牛を相当に重く扱つてゐるやうだが、私はあの男の何処が偉いのだか不思議でならない。