今にして思ふに、小説では紅葉の「金色夜叉」、蘆花の「不如帰」、草村北星の「浜子」などゝ云ふものが流行つた時代、評論感想では高山樗牛の「わが袖の記」、「平家雑感」、「美的生活論」などゝ云ふ中学生の美文のやうなものが大きな顔をしてノサバツてゐた時代、(ついでながら云ふ、正宗白鳥君などは樗牛を相当に重く扱つてゐるやうだが、私はあの男の何処が偉いのだか不思議でならない。
「瀧口入道」は平家物語の一節を焼き直して文章までも剽窃したもの、「釈迦」も同じくお経の文句をそのまゝ仮名交り文に引き伸ばしたやうなもの、「美的生活」はニイチエを読みかじつてニイチエの深みもなく、浅薄な議論をしたもの、その他、何一つとして独創性の認められるものはないではないか。
彼の書く物が幼稚だつたのは時代のせゐで仕方がないとしても、真に傑れた評論家であるなら、幼稚な中にも何か後人を首肯せしめるものがなければならないが、何処にもそんなものは見出だされない。