私は土地の人が絽の羽織を着る時分になつてから、たまりかねて東京へ手紙を出し、綴れの単衣帯と夏羽織とを偕楽園から送つて貰つたが、着物と襦袢とは最後まで着た切り雀であつた。
(あの時分、東京では上方の所謂「単衣羽織」と云ふものがなかつた。
袷羽織から直ぐ絽の羽織になつたので、単衣羽織と云へば絽のことであつた。
私は土地の人が絽の羽織を着る時分になつてから、たまりかねて東京へ手紙を出し、綴れの単衣帯と夏羽織とを偕楽園から送つて貰つたが、着物と襦袢とは最後まで着た切り雀であつた。
(あの時分、東京では上方の所謂「単衣羽織」と云ふものがなかつた。
袷羽織から直ぐ絽の羽織になつたので、単衣羽織と云へば絽のことであつた。