何しろ蘆屋の旧国道は、阪急の方が開けたり新国道が出来たりしてから、年々さびれつつあるので、こんなところでいつ迄荒物屋渡世をしていても思わしい訳はないのだけれど、動くにはこの店を売り退かなければならないし、さて売り退いても何処で何を始めようと云う成算がない。
庄造はそんなことについてひどく呑気に生れついた男で、貧乏を苦にしない代りには、一向商売に身を入れない。
十三四の頃、夜学へ通いながら西宮の銀行の給仕に使われ、青木のゴルフ練習場のキャディーにも雇われ、年頃になってからはコックの見習を勤めたりしたけれど、何処も長つづきがしないで怠けているうちに父親が亡くなって、それから此方荒物屋の亭主で納まってしまった。