十三四の頃、夜学へ通いながら西宮の銀行の給仕に使われ、青木のゴルフ練習場のキャディーにも雇われ、年頃になってからはコックの見習を勤めたりしたけれど、何処も長つづきがしないで怠けているうちに父親が亡くなって、それから此方荒物屋の亭主で納まってしまった。
ぜんたい店の商売などは母親に任して置いて、兎に角男一匹が何かしら職を求めたらよいのに、国道筋でカフェエを始めたいからと伯父に出資を申し込んで、意見されたことがあった外には、猫を可愛がることと、球を撞くことと、盆栽をいじくることと、安カフェエの女をからかいに行くことぐらいより、何の仕事も思い付かない。
そうして今から足かけ四年前、二十六の歳に畳屋の塚本を仲人に立てて、山蘆屋の或る邸に奉公していた品子を嫁に貰ったのだが、その時分から商売の方がいよいよ上ったりになって、毎月の遣り繰りに骨が折れて来た。