せいぜいカフェエの女を相手に遊んだぐらいが関の山で、恋愛らしい経験と云えば、前の女房の眼を掠めて福子と逢引していた時代の、楽しいような、懊れったいような、変にわくわくした、落ち着かない気分、―――まああれぐらいなものなのだが、それでもあれは両方の親が内々で手引をしてくれ、品子の手前を巧く胡麻化してくれたので、無理な首尾をする必要もなく、夜露に打たれてアンパンを咬るような苦労をしないでもよかったのだから、それだけ真剣味に乏しく、逢いたさ見たさもこんなに一途ではなかったのであった。
庄造は、母親からも女房からも自分が子供扱いにされ、一本立ちの出来ない低能児のように見做されるのが、非常に不服なのであるが、さればと云ってその不服を聴いてくれる友達もなく、悶々の情を胸の中に納めていると、何となく独りぽっちな、頼りない感じが湧いて来るので、そのために尚リリーを愛していたのである。
実際、品子にも、福子にも、母親にも分って貰えない淋しい気持を、あの哀愁に充ちたリリーの眼だけがほんとうに見抜いて、慰めてくれるように思い、又あの猫が心の奥に持っていながら、人間に向って云い現わす術を知らない畜生の悲しみと云うようなものを、自分だけは読み取ることが出来る気がしていたのであったが、それがお互いに別れ別れにされてしまって四十余日になるのである。