紅葉山人の亡くなったのは明治三十六年で、私の数え年十八歳の時であるが、私が物を書き始めたのはそれから約七年後、明治四十三年であるから、山人があんなに早死にをしなかったら、恐らく私は山人の門を叩き、一度は弟子入りをしていただろうと思う。
しかし私は、果して秋声老人のいうように山人に可愛がられたかどうかは疑問である。
山人も私も東京の下町ッ児であるから、話のウマは合うであろうが、またお互に江戸人に共通な弱点や短所を持っているので、随分容赦なく腹の底を見透かされて辛辣な痛罵などを浴びせられたに違いあるまい。