文壇で「紅露」が併称された如く、梨園では「団菊」といわれていたが、この方は舞台の人であるから、幸いにして私はこの二巨人の顔や声音を覚えている。
が、文壇の方では、僅かな年代の相違のために、会い損っている人が随分多い。
硯友社花やかなりし頃の作家では、巌谷小波山人にたった一回、大正時代に有楽座で自由劇場の第何回目かの試演の時に、小山内薫に紹介してもらって、廊下で立ち話をしたことがあった。
文壇で「紅露」が併称された如く、梨園では「団菊」といわれていたが、この方は舞台の人であるから、幸いにして私はこの二巨人の顔や声音を覚えている。
が、文壇の方では、僅かな年代の相違のために、会い損っている人が随分多い。
硯友社花やかなりし頃の作家では、巌谷小波山人にたった一回、大正時代に有楽座で自由劇場の第何回目かの試演の時に、小山内薫に紹介してもらって、廊下で立ち話をしたことがあった。