小栗風葉にもたった一遍、中央公論社がまだ本郷西片町の麻田氏の家の二階にあった時分、滝田樗陰に引き合わされてほんの二、三十分談話を交した。
露伴、藤村、鏡花、秋声等、昭和時代まで生存していた諸作家は別として、僅かに一、二回の面識があった人々は、この外に鴎外、敏、魯庵、天外、泡鳴、青果、武郎くらいなものである。
漱石が一高の英語を教えていた時分、英法科に籍を置いていた私は廊下や校庭で行き逢うたびにお時儀をした覚えがあるが、漱石は私の級を受け持ってくれなかったので、残念ながら謦咳に接する折がなかった。