漱石が一高の英語を教えていた時分、英法科に籍を置いていた私は廊下や校庭で行き逢うたびにお時儀をした覚えがあるが、漱石は私の級を受け持ってくれなかったので、残念ながら謦咳に接する折がなかった。
私が帝大生であった時分、電車は本郷三丁目の角、「かねやす」の所までしか行かなかったので、漱石はあすこからいつも人力車に乗っていたが、リュウとした対の大嶋の和服で、青木堂の前で俥を止めて葉巻などを買っていた姿が、今も私の眼底にある。
まだ漱石が朝日新聞に入社する前のことで、大学の先生にしては贅沢なものだと、よくそう思い思いした。