長江はまた、わざとわれわれに馴れ近づいて、われわれが彼の病気をどの程度恐れているか、その度合いを試験して自ら快とするような傾向があった。
彼にしてみれば、これも「病気に負けてなるものか」という心理が働いていたのかも知れないが、彼がわれわれから嫌われたのは、そういう行為が重な原因であったと思う。
私なども、彼と食事を共にするようなハメになることを努めて避けていたが、『中外』の内藤民治氏に誘われて、やむをえず赤坂や新橋のお茶屋へ彼と同行したことが二、三度はある。
長江はまた、わざとわれわれに馴れ近づいて、われわれが彼の病気をどの程度恐れているか、その度合いを試験して自ら快とするような傾向があった。
彼にしてみれば、これも「病気に負けてなるものか」という心理が働いていたのかも知れないが、彼がわれわれから嫌われたのは、そういう行為が重な原因であったと思う。
私なども、彼と食事を共にするようなハメになることを努めて避けていたが、『中外』の内藤民治氏に誘われて、やむをえず赤坂や新橋のお茶屋へ彼と同行したことが二、三度はある。