芥川は芭蕉の門人で長江と同じ病気を患っていた森川許六の例を引き、「昔許六は自分の姿の醜いのを恥じ、屏風を隔てて人と語るのを常としたが、客が是非お顔を見せて下さいというと、始めて屏風の蔭から出て来て臆する色もなく対面し、従容として俳論を闘わしたというが、この話を長江にも聞かせてやりたいな。
長江もそういう風にしたら天下の同情が翕然として集ることは明かだのに、彼は最も下手な遣り方をしている」といっていた。
そういえば、長江には可愛いお嬢さんがいたので、われわれは蔭ながら心配をし、病気が移らないうちに何とかあの児を別居させてしまう方がよくはないか、その方があの児のためにも長江のためにも結局は幸福なのではないか、誰かが思い切って長江に忠告したらどうか、と、よくそういっていたものだが、長江と最も親しくしていた中村古峡が遂にその話を切り出したことがあった。