殊に自分なぞはそれから七八年、中学から高等学校、高等学校から大学と、次第に成人になるのに従って、そう云う先生の存在自身さえ、ほとんど忘れてしまうくらい、全然何の愛惜も抱かなかったものである。
すると大学を卒業した年の秋――と云っても、日が暮れると、しばしば深い靄が下りる、十二月の初旬近くで、並木の柳や鈴懸などが、とうに黄いろい葉をふるっていた、ある雨あがりの夜の事である。
自分は神田の古本屋を根気よくあさりまわって、欧洲戦争が始まってから、めっきり少くなった独逸書を一二冊手に入れた揚句、動くともなく動いている晩秋の冷い空気を、外套の襟に防ぎながら、ふと中西屋の前を通りかかると、なぜか賑な人声と、暖い飲料とが急に恋しくなったので、そこにあったカッフェの一つへ、何気なく独りではいって見た。