右に依れば、里落命致し候は、私検脈後一時の間と相見え、巳の上刻には、篠既に乱心の体にて、娘死骸を掻き抱き、声高に何やら、蛮音の経文読誦致し居りし由に御座候。
猶、此儀は、弥左衛門殿直に見受けられ候趣にて、村方嘉右衛門殿、藤吾殿、治兵衛殿等も、其場に居合されし由に候へば、千万実事たるに紛れ無かる可く候。
追つて、翌十日は、朝来小雨有之候へども辰の下刻より春雷を催し、稍、晴れ間相きざし候折から――村郷士梁瀬金十郎殿より、迎への馬差し遣はされ、検脈致し呉れ候様、申し越され候間、早速馬上にて、私宅を立ち出で候所、篠宅の前へ来かかり候へば、村方の人々大勢佇み居り、伴天連よ、切支丹よなど、罵り交し候うて、馬を進め候事さへ叶ひ申さず、依つて、私馬上より、家内の容子差し覗き候所、篠宅の戸を開け放ち候中に、紅毛人一名、日本人三名、各々法衣めきし黒衣を着し候者共、手に手に彼くるす、乃至は香炉様の物を差しかざし候うて、同音に、はるれや、はるれやと唱へ居り候。