古来一旦落命致し候上、蘇生仕り候類、元より少からずとは申し候へども、多くは、酒毒に中り、乃至は瘴気に触れ候者のみに有之、里の如く、傷寒の病にて死去致し候者の、還魂仕り候例は、未嘗承り及ばざる所に御座候へば、切支丹宗門の邪法たる儀此一事にても分明致す可く、別して伴天連当村へ参り候節、春雷頻に震ひ候も、天の彼を憎ませ給ふ所かと推察仕り候。
猶、篠及娘里当日伴天連ろどりげ同道にて、隣村へ引移り候次第、並に慈元寺住職日寛殿計らひにて同人宅焼き棄て候次第は、既に名主塚越弥左衛門殿より、言上仕り候へば、私見聞致し候仔細は、荒々右にて相尽き申す可く候。
但、万一記し洩れも有之候節は、後日再応書面を以て言上仕る可く、先は私覚え書斯くの如くに御座候。