そこで洛中のさびれ方は一通りでない。
舊記によると、佛像や佛具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に賣つてゐたと云ふ事である。
洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てゝ顧る者がなかつた。
そこで洛中のさびれ方は一通りでない。
舊記によると、佛像や佛具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に賣つてゐたと云ふ事である。
洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てゝ顧る者がなかつた。