これはいつか『帝国文学』へ、堂々たる文展の批評を書いたので、自然名前だけは俊助の記憶にも残っているのだった。
もう一人の花房は、一週間以前『鉢の木』へ藤沢と一しょに来た黒のソフトで、英仏独伊の四箇国語のほかにも、希臘語や羅甸語の心得があると云う、非凡な語学通で通っていた。
そうしてこれまた Hanabusa と署名のある英仏独伊希臘羅甸の書物が、時々本郷通の古本屋に並んでいるので、とうから名前だけは俊助も承知している青年だった。
これはいつか『帝国文学』へ、堂々たる文展の批評を書いたので、自然名前だけは俊助の記憶にも残っているのだった。
もう一人の花房は、一週間以前『鉢の木』へ藤沢と一しょに来た黒のソフトで、英仏独伊の四箇国語のほかにも、希臘語や羅甸語の心得があると云う、非凡な語学通で通っていた。
そうしてこれまた Hanabusa と署名のある英仏独伊希臘羅甸の書物が、時々本郷通の古本屋に並んでいるので、とうから名前だけは俊助も承知している青年だった。