ところがいくら読んで行っても、そう云う実際方面の消息はほとんど一句も見当らなかった。
その代り郷土の自然だの生活だのの叙述が、到る所に美しい詠歎的な文字を並べていた。
磯山の若葉の上には、もう夏らしい海雲が簇々と空に去来していると云う事、その雲の下に干してある珊瑚採取の絹糸の網が、眩く日に光っていると云う事、自分もいつか叔父の持ち船にでも乗せて貰って、深海の底から珊瑚の枝を曳き上げたいと思っていると云う事――すべてが哲学者と云うよりは、むしろ詩人にふさわしい熱情の表現とも云わるべき性質のものだった。