そこで恵印は約束の手前、今更ほかに致し方もございませんから、渋々叔母の尼の伴をして、猿沢の池が一目に見えるあの興福寺の南大門の石段の上へ参りました。
丁度その日は空もほがらかに晴れ渡って、門の風鐸を鳴らすほどの風さえ吹く気色はございませんでしたが、それでも今日と云う今日を待ち兼ねていた見物は、奈良の町は申すに及ばず、河内、和泉、摂津、播磨、山城、近江、丹波の国々からも押し寄せて参ったのでございましょう。
石段の上に立って眺めますと、見渡す限り西も東も一面の人の海で、それがまた末はほのぼのと霞をかけた二条の大路のはてのはてまで、ありとあらゆる烏帽子の波をざわめかせて居るのでございます。