が、三巻や五巻などは、相当の興味をもって、しまいまで読み通すことができたように記憶する。
その時、はじめて樗牛に接した自分は、あの名文からはなはだよくない印象を受けた。
というのは、中学生たる自分にとって、どうも樗牛はうそつきだという気がしたのである。
が、三巻や五巻などは、相当の興味をもって、しまいまで読み通すことができたように記憶する。
その時、はじめて樗牛に接した自分は、あの名文からはなはだよくない印象を受けた。
というのは、中学生たる自分にとって、どうも樗牛はうそつきだという気がしたのである。