が、自分は依然として樗牛はうそつきだと確信していたから、先覚者でもなんでも彼はうそつきだからいかんと言って、どうしても赤木君の説に服さなかった。
その時はついにそれぎりで、樗牛はえらいともえらくないともつかずにしまったが、ほとんど十年近くも読んだことのない樗牛をまたのぞいてみる気になったのは、全くこの議論のおかげである。
自分はその後まもなく、秋の夜の電灯の下で、書棚のすみから樗牛全集をひっぱり出した。
が、自分は依然として樗牛はうそつきだと確信していたから、先覚者でもなんでも彼はうそつきだからいかんと言って、どうしても赤木君の説に服さなかった。
その時はついにそれぎりで、樗牛はえらいともえらくないともつかずにしまったが、ほとんど十年近くも読んだことのない樗牛をまたのぞいてみる気になったのは、全くこの議論のおかげである。
自分はその後まもなく、秋の夜の電灯の下で、書棚のすみから樗牛全集をひっぱり出した。