不二山と、大蘇鉄と、そうしてこの大理石の墓と――自分は十年ぶりで「わが袖の記」を読んだのとは、全く反対な索漠さを感じて、匆々竜華寺の門をあとにした。
爾来今日に至っても、二度とあのきのどくな墓に詣でようという気は樗牛に対しても起す勇気がない。
しかし怪しげな、国家主義の連中が、彼らの崇拝する日蓮上人の信仰を天下に宣伝した関係から、樗牛の銅像なぞを建設しないのは、まだしも彼にとって幸福かもしれない。
不二山と、大蘇鉄と、そうしてこの大理石の墓と――自分は十年ぶりで「わが袖の記」を読んだのとは、全く反対な索漠さを感じて、匆々竜華寺の門をあとにした。
爾来今日に至っても、二度とあのきのどくな墓に詣でようという気は樗牛に対しても起す勇気がない。
しかし怪しげな、国家主義の連中が、彼らの崇拝する日蓮上人の信仰を天下に宣伝した関係から、樗牛の銅像なぞを建設しないのは、まだしも彼にとって幸福かもしれない。