二代又左衛門重宗が、父の跡をうけて、所司代として令聞があったのは、数えるまでもない。
その弟の主水重昌は、慶長十九年大阪冬の陣の和が媾ぜられた時に、判元見届の重任を辱くしたのを始めとして、寛永十四年島原の乱に際しては西国の軍に将として、将軍家御名代の旗を、天草征伐の陣中に飜した。
その名家に、万一汚辱を蒙らせるような事があったならば、どうしよう。
二代又左衛門重宗が、父の跡をうけて、所司代として令聞があったのは、数えるまでもない。
その弟の主水重昌は、慶長十九年大阪冬の陣の和が媾ぜられた時に、判元見届の重任を辱くしたのを始めとして、寛永十四年島原の乱に際しては西国の軍に将として、将軍家御名代の旗を、天草征伐の陣中に飜した。
その名家に、万一汚辱を蒙らせるような事があったならば、どうしよう。