藤岡博士の言語学の講義は、その朗々たる音吐とグロテスクな諧謔とを聞くだけでも、存在の権利のあるものだつた。
尤も自分の如く、生来言語学的な頭脳に乏しい人間にとつては、それだけで存在の権利があつたと云ひ直しても別に差支へはない。
だから今日も、ノオトをとつたりやめたりしながら、半分はさう云ふ興味で、マツクス・ミユラアがどうとかしたとか云ふ講義を面白がつて聴いてゐた。
藤岡博士の言語学の講義は、その朗々たる音吐とグロテスクな諧謔とを聞くだけでも、存在の権利のあるものだつた。
尤も自分の如く、生来言語学的な頭脳に乏しい人間にとつては、それだけで存在の権利があつたと云ひ直しても別に差支へはない。
だから今日も、ノオトをとつたりやめたりしながら、半分はさう云ふ興味で、マツクス・ミユラアがどうとかしたとか云ふ講義を面白がつて聴いてゐた。