さうして氏の脚本からは、次第にその秀抜な戯曲的要素が失はれて、(全くとは云はない。
一部の批評家が戯曲でないやうに云ふ「或青年の夢」でさへ、一齣一齣の上で云へばやはり戯曲的に力強い表現を得た個所がある。
氏自身のみを語る役割が、己自身を語る性格の代りに続々としてそこへはいつて来た。
さうして氏の脚本からは、次第にその秀抜な戯曲的要素が失はれて、(全くとは云はない。
一部の批評家が戯曲でないやうに云ふ「或青年の夢」でさへ、一齣一齣の上で云へばやはり戯曲的に力強い表現を得た個所がある。
氏自身のみを語る役割が、己自身を語る性格の代りに続々としてそこへはいつて来た。