久しく自然主義の淤泥にまみれて、本来の面目を失してゐた人道が、あのエマヲのクリストの如く「日昃きて暮に及んだ」文壇に再姿を現した時、如何に我々は氏と共に、「われらが心熱し」事を感じたらう。
現に自分の如く世間からは、氏と全然反対の傾向にある作家の一人に数へられてゐる人間でさへ、今日も猶氏の「雑感」を読み返すと、常に昔の澎湃とした興奮が、一種のなつかしさと共に還つて来る。
我々は――少くとも自分は氏によつて、「驢馬の子に乗り爾に来る」人道を迎へる為に、「その衣を途に布き或は樹の枝を伐りて途に布く」先例を示して貰つたのである。