が、彼は黙然と、両手を後に組んだ儘、懶さうな眼は何時までも、裸の床を離れなかつた。
トウルゲネフの心の中には、彼がトルストイと親しくしてゐた、二十余年以前の追憶が、一つ一つ鮮に浮んで来た。
放蕩に放蕩を重ねては、ペテルブルグの彼の家へ、屡眠りに帰つて来た、将校時代のトルストイ、――ネクラゾフの客間の一つに、傲然と彼を眺めながら、ヂオルヂユ・サンドの攻撃に一切を忘れてゐたトルストイ、――スパスコイエの林間に、彼と散歩の足を止めては、夏の雲の美しさに感歎の声を洩らしてゐた、「三人の軽騎兵」時代のトルストイ、――それから最後にはフエツトの家で、二人とも拳を握つた儘、一生の悪罵を相手の顔へ投げつけた時のトルストイ、――それらの追憶のどれを見ても、我執の強いトルストイは、徹頭徹尾他人の中に、真実を認めない人間だつた。