然ども我云所の俳諧は其俳諧にはことなりと云ふことにて、荷兮野水等に後見して『冬の日』『春の日』『あら野』等あり。
芭蕉の説に従へば、蕉風の集を著はすのは名聞を求めぬことであり、芭蕉の集を著はすのは名聞を求めることである。
然らば如何なる流派にも属せぬ一人立ちの詩人はどうするのであらう?
然ども我云所の俳諧は其俳諧にはことなりと云ふことにて、荷兮野水等に後見して『冬の日』『春の日』『あら野』等あり。
芭蕉の説に従へば、蕉風の集を著はすのは名聞を求めぬことであり、芭蕉の集を著はすのは名聞を求めることである。
然らば如何なる流派にも属せぬ一人立ちの詩人はどうするのであらう?