と云ふのはつまり五六年も経れば、芭蕉自身の俳諧は一変化すると云ふ意味であらう。
或は又既に公にしたのは僅々三合の俳諧に過ぎぬ、残りの七合の俳諧は芭蕉自身の胸中に横はつてゐると云ふ意味であらう。
すると芭蕉以外の人には五六年は勿論、三百年たつても、一変化することは出来ぬかも知れぬ。
と云ふのはつまり五六年も経れば、芭蕉自身の俳諧は一変化すると云ふ意味であらう。
或は又既に公にしたのは僅々三合の俳諧に過ぎぬ、残りの七合の俳諧は芭蕉自身の胸中に横はつてゐると云ふ意味であらう。
すると芭蕉以外の人には五六年は勿論、三百年たつても、一変化することは出来ぬかも知れぬ。