第一「月日は百代の過客にして、ゆきかふ年も又旅人なり」と云ふ第一行を見ても、軽みを帯びた後半は前半の重みを受けとめてゐない。
(散文にも野心のあつた芭蕉は同時代の西鶴の文章を「浅ましくもなり下れる姿」と評した。
これは枯淡を愛した芭蕉には少しも無理のない言葉である。
第一「月日は百代の過客にして、ゆきかふ年も又旅人なり」と云ふ第一行を見ても、軽みを帯びた後半は前半の重みを受けとめてゐない。
(散文にも野心のあつた芭蕉は同時代の西鶴の文章を「浅ましくもなり下れる姿」と評した。
これは枯淡を愛した芭蕉には少しも無理のない言葉である。