支那人は竹が風に吹かるるさまを、竹笑と名づける由、風の吹いた日も見てゐたが、一向竹笑らしい心もち起らず。
又霧の深い夕方出て見たら、皆ぼんやり黒く見える所、平凡な南画じみてつまらなかつた。
それより竹藪の中にはひり、竹の皮のむけたのが、裏だけ日の具合で光るのを見ると、其処らに蛞蝓が這つてゐさうな、妙な無気味さを感ずるものなり。
支那人は竹が風に吹かるるさまを、竹笑と名づける由、風の吹いた日も見てゐたが、一向竹笑らしい心もち起らず。
又霧の深い夕方出て見たら、皆ぼんやり黒く見える所、平凡な南画じみてつまらなかつた。
それより竹藪の中にはひり、竹の皮のむけたのが、裏だけ日の具合で光るのを見ると、其処らに蛞蝓が這つてゐさうな、妙な無気味さを感ずるものなり。