尤も七十何点かの画が、悉くこの種類だと云ふ次第ぢやない。
たとへば畠山錦成氏の「貴美子」の如きは、少くともかう云ふ西洋かぶれの幣は受けてゐない作品である。
如何に奇抜がつた所が、せめて此処までは漕ぎつけてゐないと、どうも僕等素人には、ちと新しい日本画としてのレエゾン・デエトルが覚束ないかと思ふ。
尤も七十何点かの画が、悉くこの種類だと云ふ次第ぢやない。
たとへば畠山錦成氏の「貴美子」の如きは、少くともかう云ふ西洋かぶれの幣は受けてゐない作品である。
如何に奇抜がつた所が、せめて此処までは漕ぎつけてゐないと、どうも僕等素人には、ちと新しい日本画としてのレエゾン・デエトルが覚束ないかと思ふ。