すると婆さんの真名娘が私かにこの稚児に想ひを寄せ、稚児の身代りになつて死んでしまふ、それから稚児は観世音菩薩と現れ、婆さんに因果応報を教へる、この婆さんの身を投げて死んだ池は未だに浅草寺の境内に「姥の池」となつて残つてゐる、――大体かう云ふ浄瑠璃である。
僕は少時国芳の浮世絵にこの話の書いたのを見てゐたから、「吉原八景」だの「黒髪」だのよりも「石の枕」に興味を感じてゐた。
それからその又国芳の浮世絵は観世音菩薩の衣紋などに西洋画風の描法を応用してゐたのも覚えてゐる。
すると婆さんの真名娘が私かにこの稚児に想ひを寄せ、稚児の身代りになつて死んでしまふ、それから稚児は観世音菩薩と現れ、婆さんに因果応報を教へる、この婆さんの身を投げて死んだ池は未だに浅草寺の境内に「姥の池」となつて残つてゐる、――大体かう云ふ浄瑠璃である。
僕は少時国芳の浮世絵にこの話の書いたのを見てゐたから、「吉原八景」だの「黒髪」だのよりも「石の枕」に興味を感じてゐた。
それからその又国芳の浮世絵は観世音菩薩の衣紋などに西洋画風の描法を応用してゐたのも覚えてゐる。