御承知の通り二十四年と申しますと、あの濃尾の大地震がございました年で、あれ以来この大垣もがらりと容子が違ってしまいましたが、その頃町には小学校がちょうど二つございまして、一つは藩侯の御建てになったもの、一つは町方の建てたものと、こう分れて居ったものでございます。
私はその藩侯の御建てになったK小学校へ奉職して居りましたが、二三年前に県の師範学校を首席で卒業致しましたのと、その後また引き続いて校長などの信用も相当にございましたのとで、年輩にしては高級な十五円と云う月俸を頂戴致して居りました。
唯今でこそ十五円の月給取は露命も繋げないぐらいでございましょうが、何分二十年も以前の事で、十分とは参りませんまでも、暮しに不自由はございませんでしたから、同僚の中でも私などは、どちらかと申すと羨望の的になったほどでございました。