それは非常に見識の高い人間から見れば私は生きてゐるやうでその実中味は死んでゐるといはれるかも知れないが、ともあれなんといつても私はこの通り生きてゐるやうに、一つの過渡期における産物、将来の足場同様のプロレタリア文学といつても、現在われわれの胸を打つ力のあるものでなければならない。
相当芸術作品としてものになつてゐるものでなければならない。
佐藤春夫君がプロレタリア文学には生々しい実感がなければならないといつたのも要するにいゝものを、すぐれたプロレタリア文学を求めんとする所の叫びに外ならないと思ふ。