それがどう云う訳か、僕の記憶には「登志雄」として残った。
その登志雄が与志雄と校正されたのは、豊島に会ってからの事だったと思う。
初めて会ったのは、第三次の新思潮を出す時に、本郷の豊国の二階で、出版元の啓成社の人たちと同人との会があった、その時の事である。
それがどう云う訳か、僕の記憶には「登志雄」として残った。
その登志雄が与志雄と校正されたのは、豊島に会ってからの事だったと思う。
初めて会ったのは、第三次の新思潮を出す時に、本郷の豊国の二階で、出版元の啓成社の人たちと同人との会があった、その時の事である。