最後に会ったのはたしか四五月頃でしたか、新橋演舞場の廊下で誰か後から僕の名を呼ぶのでふり返って見ても暫く誰だか分らなかった。
あの大きな身体の人が非常に痩せて小さくなって顔にかすかな赤味がある位でした。
私はいつも云っていたことですが、滝田さんは、徳富蘇峰、三宅雄二郎の諸氏からずっと下って僕等よりもっと年の若い人にまで原稿を通じて交渉があって、色々の作家の逸話を知っていられるので、もし今後中央公論の編輯を誰かに譲って閑な時が来るとしたら、それらの追憶録を書かれると非常に面白いと思っていました。
最後に会ったのはたしか四五月頃でしたか、新橋演舞場の廊下で誰か後から僕の名を呼ぶのでふり返って見ても暫く誰だか分らなかった。
あの大きな身体の人が非常に痩せて小さくなって顔にかすかな赤味がある位でした。
私はいつも云っていたことですが、滝田さんは、徳富蘇峰、三宅雄二郎の諸氏からずっと下って僕等よりもっと年の若い人にまで原稿を通じて交渉があって、色々の作家の逸話を知っていられるので、もし今後中央公論の編輯を誰かに譲って閑な時が来るとしたら、それらの追憶録を書かれると非常に面白いと思っていました。