一部の「徳川家康篇」は年少の家康を論じた「徳川家康」、中年の家康を論じた「鬼作左」、老年の家康を論じた「本多佐渡守」の三篇の論文から成り立つてゐる。
(尤も湖州はかう云ふ順序に是等の論文を書いた訳ではない。
「徳川家康」は明治三十一年、「鬼作左」は明治三十年、「本多佐渡守」は明治二十九年、――即ち作品の順序とは全然反対に筆を執つたのである。
一部の「徳川家康篇」は年少の家康を論じた「徳川家康」、中年の家康を論じた「鬼作左」、老年の家康を論じた「本多佐渡守」の三篇の論文から成り立つてゐる。
(尤も湖州はかう云ふ順序に是等の論文を書いた訳ではない。
「徳川家康」は明治三十一年、「鬼作左」は明治三十年、「本多佐渡守」は明治二十九年、――即ち作品の順序とは全然反対に筆を執つたのである。