―慶長訳 Imitatione Christi―
去んぬる頃、日本長崎の「さんた・るちや」と申す「えけれしや」(寺院)に、「ろおれんぞ」と申すこの国の少年がござつた。
これは或年御降誕の祭の夜、その「えけれしや」の戸口に、餓ゑ疲れてうち伏して居つたを、参詣の奉教人衆が介抱し、それより伴天連の憐みにて、寺中に養はれる事となつたげでござるが、何故かその身の素性を問へば、故郷は「はらいそ」(天国)父の名は「でうす」(天主)などと、何時も事もなげな笑に紛らいて、とんとまことは明した事もござない。
―慶長訳 Imitatione Christi―
去んぬる頃、日本長崎の「さんた・るちや」と申す「えけれしや」(寺院)に、「ろおれんぞ」と申すこの国の少年がござつた。
これは或年御降誕の祭の夜、その「えけれしや」の戸口に、餓ゑ疲れてうち伏して居つたを、参詣の奉教人衆が介抱し、それより伴天連の憐みにて、寺中に養はれる事となつたげでござるが、何故かその身の素性を問へば、故郷は「はらいそ」(天国)父の名は「でうす」(天主)などと、何時も事もなげな笑に紛らいて、とんとまことは明した事もござない。